【tea history】-0- 茶文化の始まり〜鎌倉時代〜

田中美里

普段何気なく飲んでいるお茶ですが、鎌倉時代まで遡る長い歴史があるのをご存知ですか?

茶文化は歴史上の有名な人物たちと深く関わっているのです。

 

茶文化の流れ

 日本に茶文化をもたらしたのは栄西と言われています。鎌倉時代に入り、僧侶を中心に中国との文化交流が盛んになりました。その頃、禅をはじめとする新仏教が中国から日本へ伝わります。

 栄西が「抹茶」という新たな茶の飲み方をもたらすと、禅の影響から茶文化は急速に広まってゆきました。南北朝時代から室町時代にかけて、昔からの風習にとらわれない新たな文化が次々に誕生します。

 当時の最先端の文化である「茶の湯」は、日本の伝統的な美意識と禅の思想が合体して生まれたのです。時代が進むと農村で茶の生産が盛んになり、庶民の間にも茶が浸透していきました。

 

茶文化が発展する流れを詳しく解説していきます。

 

鎌倉時代

 

茶文化の幕開け

 鎌倉時代に入ると、宋(960-1279年)から日本に新しい文化が入ってきました。伝えたのは、宋で仏教を学んでいた僧たちです。中でも、臨済宗を開いたとして名高い栄西(1141-1215)が、宋から帰国して日本最初の茶園を作りました。日本で最も由緒正しいとされる「本茶」は、栄西が京都栂尾高山寺の明恵上人に贈呈した茶の種に由来するものです。

 和束茶の始まりは、海住山寺の高僧「慈心上人」が、高山寺明恵上人から茶の種を譲り受け、鷲峰山の山麓に植えたことが始まりと言われています。

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引用先:https://ja.wikipedia.org/wiki/高山寺

茶の効能と飲み方

 お茶が健康に良いことは、古くから知られていました。鎌倉幕府の公式記録、『吾妻鏡』には栄西が将軍に茶を勧めた記録が残されています。ある日、三代目将軍実朝が二日酔いで苦しんでいたところ、栄西がお茶を飲むよう勧めました。実朝がお茶を飲むと、すぐに気分が良くなったそうです。

 同時期に茶について記した書物に、『喫茶養生記』があります。栄西によって書かれ、日本の茶の聖典とされています。

書物は「茶は養生の仙薬なり。延齢の妙術なり。山野之を生ずれば、其の地神霊なり」と始まり、

前半部分にはお茶が健康や長寿に効くこと、お茶の木が生える土地は神聖な場所であることや茶の製法が記されています。

 

 当時の書物からは、お茶の飲み方も明らかになってきます。具体的な飲み方は書かれていませんが、現在の抹茶に似た方法でお茶が飲まれたと推定されています。

抹茶の飲み方は、栄西が学んでいた宋で流行していたものです。日本は茶文化において中国から大きな影響を受けていますが、中国では抹茶としてのお茶の飲み方は廃れてしまいました。

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禅宗の影響

 お茶の効果は健康だけでなく、頭をすっきりさせる効果があります。

 昼夜厳しい修行を行う禅宗の寺院では、茶の持つ覚醒効果が重宝されました。中国の禅寺で茶が儀式に用いられていたことに倣って、日本の禅寺でも茶が儀礼に取り入れられました。

清規と呼ばれる寺内の規則に、茶を飲む儀礼が含まれています。禅の中で茶が用いられるにつれて、茶の栽培は寺院を中心に関東地域まで拡大してゆきました。

 

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 ここまで、お茶が禅寺で広まった流れを見てきましたが、農民は茶をどのように捉えていたのでしょうか。

 

 鎌倉時代に成立した『沙石集』には、茶をめぐる農民の姿が描かれています。

 僧が茶を飲んでいたところ、牛飼いが来て、茶を自分にも頂けないかと尋ねました。僧は牛飼いに茶の素晴らしさを語り、

消化が良くなること、眠気を覚ますこと、女性をみてもその気がなくなるという三つの効用を挙げました。

 牛飼いは、すぐに空腹になったり、夜眠れなくなると仕事にならず、厳しい暮らしの中での唯一の楽しみが失われてしまうと答えたといいます。

 

 茶文化と関わりの深い禅宗は、当時の武士たちにも信仰されていました。茶は、武家社会においても重んじられたのです。神奈川県横浜市金沢文庫は、鎌倉幕府執権の北条氏の一族である金沢氏が、学問の拠点として称名寺に設けたことで知られています。

 金沢文庫に残っている古文書からは、金沢氏を始めとする人々が、京都栂尾の茶を熱烈に求めていたことが分かっています。

 当時、鎌倉でも茶の栽培は行われていて、当時の史料では地元の茶を当所の茶や山茶などと呼んでいます。栄西の手でもたらされた、最も由緒あるとされる茶は他の茶と明確に区別され、特に大切に扱われたことが読み取れます。