2016年に創業した農業ベンチャー
様々な出会いや出来事の積み重ねで今のd:matchaがあります
ここ和束町にわれわれが移住してきたのは2016年。
様々な人との出会いや出来事がありました。その偶然や必然からなる日々の出来事の積み重ねが、今のd:matchaを形作っています。その軌跡の断片をご紹介します。
様々な出会いや出来事の積み重ねで今のd:matchaがあります
ここ和束町にわれわれが移住してきたのは2016年。
様々な人との出会いや出来事がありました。その偶然や必然からなる日々の出来事の積み重ねが、今のd:matchaを形作っています。その軌跡の断片をご紹介します。
日本一のお茶作りを目指すなら、どこが良いのか。
日本全国の茶産地を巡り、自分の目で見て考えました。
農協主体で、工場で他の農家と混合して加工される地域もありました。自分のお茶も他の茶も、良いも悪いお茶も一緒に加工されるのでは、やりがいが感じられません。
一方で、色々な産地を訪れる中で、ここ宇治地域の茶農家、とりわけ和束町の茶農家からは、茶の技術を競い合い、よりよい茶を作ることに熱意を燃やす、個々の農家のプライドを感じました。宇治茶800年の栽培の歴史を受け継ぎ、生き生きと茶作りに取り組む先輩茶農家たちの存在が、和束町への移住の決め手です。
写真は、農業研修先・師匠の上嶋さんです。
アメリカへの留学は、世界の情勢や、世界からみた日本について考える非常に貴重な機会となりました。
日本の文化、日本人らしさを大切にすることが価値になると気づかされたり、恵まれた日本の環境、グローバルマーケットの大きさと消えゆく日本の存在感も感じました。
また、人種も家庭環境も異なる人たちとの交流、アメリカで活躍している日本人ビジネスマンの方々との出会いもありました。こういった経験が、ローカルでありながらグローバルに活躍する農企業を目指そうとする、d:matchaの考えにつながっていきます。
写真はグループワークのメンバー。インド・メキシコ・タイ人など様々な出身者たち。
2016年から2017年にかけてメンバーが和束町に次々と移住します。
田舎への移住で難しいのは、実は住む家を探すことです。
田舎には空き家がたくさんあるから家を見つけるのは簡単だと思われるかもしれません。しかし、空き家でも、地元の方からすると、赤の他人に家を貸すことは心配・面倒を増やすことにもなりかねず、空き家であっても移住者が借りられるかどうかは別の話なのです。
また、貸してもらえるとお話をもらう空き家は、もう何年も放置されて、修理や掃除なしで住むことはまず難しい状況であることがほとんど。
最初の1年ほどは、何度、空き家の掃除・改修を行ったことでしょう。(今でも使われていない古い工場などを借りる際は、大人数で掃除するところから始まります。)
それでも、役場の方や知り合った方のつてを頼って、住む家が見つけることができたのは幸いでした。そういった方とのご縁がなければ、和束への移住は実現しませんでした。
農業新規就農者にとって、農地を借りるというのは誰もが直面する一つ目の課題です。
とりわけ移住した新規就農者は、血縁を頼るわけにはいかないため、自分の知り合いネットワークと熱意・誠意によって借りられる農地を探さなければなりません。
良い畑はよほど運がよくなければ回ってきません。d:matchaが最初に借りた畑も、急斜面、耕作放棄地や作業性が非常に悪い土地が多かったものです。
(写真は初期から借りている原山の茶畑。断崖絶壁の急斜面の畑です)
そういった土地でも努力して良い茶を作る実績を作ることで、地域から認められ、年を経るごとに良い畑がまわってくるようになりました。
こだわりのお茶カフェをオープンさせたいと悩んだ結果、産直のカフェにするなら和束町に店舗を持つのが良いと決断し、和束町で店舗の場所候補を探しました。
偶然、もともとスーパー「うおとめ」の跡地で空き店舗になっている場所がありました。
和束町の人口もピーク時の約3分の1にまで減少し、スーパーも10年ほどまでに閉店されたとのこと。建物件兼うおとめのオーナーのおじいさんは、和束の大洪水でご両親を亡くしたのち、10代で「うおとめ」の商売を引き継いで苦労された根っからの商売人でした。何度も足を通って、お店を貸してくださいとお願いしたのを覚えています。
そういった経緯があって、スーパーの面影が多分に残る店内を改装してd:matcha和束町本店が誕生したのでした。
海外留学の際のご縁で、スタンフォードMBA生が授業のプログラムの一環としてd:matchaにインターンに来てくれることになりました。
最初のインターン生は、ガーナ出身のRuth。外国人ならではの視点でd:matchaのビジネスを見て、新規事業のboostに一役買ってくれました。
彼女の日本茶、和束の景色、d:matchaのビジネスに対する反応どれもが新鮮で面白いものでした。それから、d:matchaは海外インターン生の受け入れを積極的に・継続的に行っていくことになりました。
2018年は、d:matchaのスイーツ事業が飛躍した年でもありました。
農業では随分前から6次産業化の推進が話題となっていますが、実際に6次産業化を行ってみると、それが非常に難しいということを実感します。
d:matchaでは、茶の栽培から商品企画・商品製造まで自社で行っています。
それは中小企業にとっては、社員一人一人が何役も役目をこなさなければならないということを意味します。社内では「一人6次産業化」と呼んでいます。
農業スタッフが菓子製造や調理を行う、農業スタッフが商品企画から販売も行う、というような器用さが求められます。その歯車があったとき、d:matchaの上質なお茶スイーツたちが生まれたのでした。
2019年は海外を含めて和束町に観光で訪れるお客様が増えた年でした。
茶畑茶摘みツアーや工場見学など多くのお客様に、和束町の景色とお茶の栽培の様子を知りに足を運んでいただきました。
その中でどうやったらよりお客様に楽しんでいただけるのか、よりお茶について理解していただけるのか、サービスを磨いていく良い機会となりました。
d:matchaはこれからも新しい試みに、知恵を絞りながら果敢に取り組んでいきます。
小売・農業は1日にして成らず。日々の小さな努力の積み重ねが、確かな品質と確かなサービスを生み出していきます。
d:matchaの3つの「d」の一つは「diligent」。常に勤勉に努力を積み重ねていきたいと考えています。
一緒にd:matchaの成長を見守っていただけると嬉しいです。