d:matcha通信 2025年7月
d:matcha Kyoto newsletter - July 2025
こんにちは!いつもd:matchaをご利用頂き、ありがとうございます。d:matchaニュースレターチームより畑や新開発の商品、スタッフの近況をご紹介していきます。どうぞ、ご愛読ください。
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抹茶アレンジレシピ (Sora N.)
こんにちは!6月の中旬から急に暑くなり、畑も少し大変です。今は2番茶の準備で被せや除草の毎日です。7月の半ばから収穫が始まりますが私はてん茶工場があるのでトラブルに気をつけて日々頑張りたいと思います。さて今回はヨーグルトを使った抹茶アイスを紹介したいと思います。
○材料
ヨーグルト400g
生クリーム100g
ハチミツ50g
砂糖10g
米粉12g
抹茶8g
餅適量
片栗粉適量
○手順
①ヨーグルトを電子レンジで600W1分30秒温め水を切る。約1時間200gぐらいになるまでザルにキッキンペーパーを敷き、そこにヨーグルトを入れ、再度キッチンペーパーを被せて、重りを乗っけると早く水切りできます。
②水を切っている間にトッピングの餅を作ります。餅を約1㎝の角切りにし(20g〜30g)砂糖(5g〜10g)を入れ、レンジで30秒温める。
③ラップに包んでよく揉み、厚み1㎝に伸ばし包丁でカットする。片栗粉をまぶしてくっつかないようにする。
④ヨーグルトの水が切れたらハチミツと米粉を混ぜて、電子レンジ600W1分半温める。再度混ぜてレンジで1分温め、よく混ぜて粗熱をとる
⑤ヨーグルトが冷めたら生クリームに抹茶と砂糖を入れてホイッパーで泡立てる。
✔︎空気を含ませるように混ぜたいのでホイッパーを使う。
⑥生クリームとヨーグルトと餅をを混ぜ合わせてタッパーなどに入れ、冷凍庫で冷やす。3時間程度
完成!
今回はヨーグルトでアイスを作ってみました。牛乳よりさっぱりしていて少し酸味も感じられて食べやすいと思います。砂糖ではなくハチミツを使っている理由は風味もありますが、粘り気をつけるためで適度な歯応えを感じられて食感を濃厚にするために使用しました。また米粉を入れることによって凝固剤の役割を担ってくれて冷やした後にジャリジャリになってしまうのを防ぐためとジェラートのような食感にしたかったからです。トッピングは餅を入れたのですが、私の地元に餅が入っているアイスがあったのでそれを再現してみました。他にもチョコチップや乾燥フルーツなども入れても美味しいと思います!最後まで読んでいただきありがとうございました!
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夏は野菜の収穫の季節です!(S. Mahdaria)
春の終わり頃になると、ヒロキさんは毎年、私たちのキッチン用に様々な野菜を植えてくれます。きゅうり、トマト、じゃがいも、青ねぎ、ピーマン、なすなど。その新鮮な野菜たちは、ツアーや宿泊のお客様にお出しする料理に使われ、季節ならではの味わいを添えてくれます。
ある日、私がとても疲れていて、冗談で「ハイタッチしてエネルギーを分けて〜」とヒロキさんに頼んだことがありました。すると彼は笑いながら、「僕にもエネルギーがないよ〜!」と(笑)。でもその数時間後、窓の外から元気に声をかけてきて、「青ねぎ植えたよ!」と見せてくれたんです。それは、私が去年からずっとお願いしていたことだったので、とても嬉しくて一気に元気が出ました。
野菜づくりで一番ワクワクするのは、やっぱり収穫のとき。今年はじゃがいもの収穫をしました!d:matchaでは、私にとって「お米を植えて、じゃがいもを掘る」ことが毎年の小さな恒例行事のようになっています。去年もそうだったのですが、今年はさらに特別で楽しい経験になりました。
というのも、今年はカナダ、チェコ、フランスから来てくれているインターン生たちが一緒に手伝ってくれたんです!それに、かわいい小さなコータちゃんも参加してくれて、自分なりに(よちよち歩きながら)“お手伝い”してくれました!
みんなで土に触れて、笑って、働いて、一緒に収穫を分かち合う時間は、本当に幸せで、食べ物がもっとおいしく感じられる気がします。
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ラテグレードとは (Seiya H.)
d:matcha のツアーを行う際、煎茶の飲み比べ、抹茶の点て比べと飲み比べを行うのですが、ツアーの最後の方では一瞬ではございますが、ラテ用とは何か、茶道用とは何かというのを語っています。今回はそれに関して少しお話させて頂きます。
現時点では、何が茶道グレードで、何がラテグレードというのは正式な基準はございません。
私達は簡単にまとめると
一番茶(5~6月の抹茶)が茶道グレード
(飲み比べで使用してるのは全て一番茶になります)
二番茶(7~8月の抹茶)がラテグレード
として販売します(品質がそれほど高くない一番茶をラテグレードとして扱う事もあります)。
茶道グレードは簡単に言えば、砂糖やミルク無しでも美味しく飲めるクオリティの高い抹茶です。
お茶屋さんによっては、二番茶も茶道グレードとして販売するところもありますが、二番茶はどうしても一番茶に比べると苦いのです。これには、二番茶の茶葉は一番茶に比べて日光を浴びてる期間が長い為、苦味成分であるカテキンを吸収しやすくなります。
苦味が強い為、毎日抹茶を飲む私も二番茶をそのままお湯だけで点てて飲んでも、かなり苦いと感じます。
私たちは二番茶をラテ用、製菓用として販売してますが、勿論一番茶の方がラテや製菓にでもとても美味しく楽しめます。
最近ツアーでは抹茶の飲み比べの後に皆様にミルクを差し上げて、砂糖なしで茶道グレードの抹茶ラテを楽しんでもらいます。
一番茶を使用した砂糖なしの抹茶ラテ、皆様も是非飲んでみてください。
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和束町の歴史 第1回 (Misato T.)
和束町という場所は歴史が深く、日本人にとって非常に興味深い場所です。
歴史の中心地である奈良・京都・大阪からほど近く、古文書の中に和束町の歴史を垣間見ることができます。現在はお茶産地として知られている和束町ですが、その変遷をできるだけ紐解いて行きたいと思います。
・和束町に人が住み始めたのはいつか
はっきりとした年代はわかりませんが、「わづか」という地名が歴史資料に初めて登場するのは、日本で最も有名な歌集「万葉集」です。奈良時代に編纂された「万葉集」に、744年に若くして亡くなった安積親王(政敵によって毒殺されたという説もあります)が、「わづか」に葬られたことが歌に詠まれています。つまり1200年以上前には和束に村が存在していたことがわかります。
・5世紀後半には和束町の開発が始まる
和束町内には、既に消滅したものも含めて11基の古墳(貴人のお墓)があったと言われています。原山古墳は、5世紀後半に作られたと考えらており、このころが和束町の開発された時期にあたると考えられています。
・信楽と奈良を結ぶ交通の要所
ここで都の遷都について話しておこうと思います。
日本の都(天皇が住む拠点)は、平安時代より前は色々な場所に移り変わっていました。710年に奈良の平城京に都が移った後、740年に聖武天皇は、都を平城京から恭仁京(和束町の隣町である現在の加茂町)へと移します。そのあとすぐ744年に紫香楽宮(和束町の隣町である現在の信楽町)へとまた都を移します。結局、聖武天皇は紫香楽宮へも長くは滞在せず、また平城京に戻るのですが、この時期に和束近辺の土地の開発が進んだことは容易に想像がつきます。
和束町はこの奈良と信楽を結ぶ交通の要所として発展したと考えられる、日本の歴史と関係が深い場所なのです。
・社寺に材木を有名社寺に納める
和束町は豊かな山林を有し、寺社の造営や修理のための材木を採る山として知られていました。
和束町は遅くとも平安時代(794-1185年)には興福寺(奈良で最も権力のある寺の一つ)の荘園になっています。その後、鎌倉時代(1185 – 1333年)以降に和束は北野天満宮(京都の有名な神社)の荘園にもなりました。寺社の修繕や建築に必要な材木を、木津川の水運を利用して都心に運んでいたのです。
・江戸時代には皇室直轄領となる
江戸時代(1603 – 1868年)の初期には、将軍の娘が天皇に嫁入りする際の化粧料(嫁入りの持参金)として、和束の土地が朝廷へ献上されました。これにより、和束は皇室の直轄地として、明治時代(1868-1912年)になるまで独自の伝統文化を生み出しました。和束のおじいちゃんやおばあちゃんは、天皇の直轄領であったことを誇りにしていたそうです。
・和束町の主要な社寺とその歴史
(1)鷲峰山金胎寺
7 世紀末頃、修験道の開祖である役小角によって開かれました。聖武天皇が平城京の鬼門を護るために御堂を建てたと伝えられています。鷲峰山は、大和の大峯山と並ぶ二大霊峰の一つとされ、頂上から琵琶湖を望むことができます。鷲峰山の登山道は厳しい修験道として知られており、現在でも時々死者が出るほど。
南北朝時代(1331年)に後醍醐天皇が幕府に追われて京都から奈良、笠置町へと逃げる際、この金胎寺に滞在しました。
和束町のお茶の始まりは、鎌倉時代に海住山寺の慈心上人が鷲峰山山麓に種を蒔いたのが最初と伝えられています。
(2)和束天満宮
和束天満宮は、983年、第64代・円融天皇によって京都・北野天満宮より菅原道真の絵を奉納されたのを祀ったのが始まりとされています。
本殿は一度焼失したのち再建、室町時代の特色が色濃く現われ、国指定の重要文化財となっています。
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畑のこと:二番茶の準備 (Hiroki A.)
お茶の収穫は一年に一度ではなく複数回行われることがあります。収穫されたお茶は収穫された時期により、一番茶や二番茶といったように呼び名が変わり区別されます。冬の間の長い休眠期間から覚めて勢いよく伸びてくる新芽を収穫したものが一番茶となります。一番茶の収穫後、頂芽優勢が解除され側枝が成長したものを収穫した二番茶、それに続くものを三番茶とされます。
お茶の収穫の回数は栽培される地域や栽培方法によって異なります。自然仕立ての手摘み茶園では年に一度一番茶だけが収穫されます。一方、機械刈りの茶園の多くは、一番茶と一番茶の後から生えてくる二番茶が収穫されます。沖縄などの温暖な地域ではお茶の生育期間が長いため3番茶の収穫が行われることもあります。d:matchaの生産拠点のある和束町では多くの場合2番茶の収穫が行われます。
一番茶の収穫後、二番茶を収穫するための準備が行われます。二番茶を収穫するためには一番茶収穫後に機械で茶園の表層のトリミングを行い滑らかに仕立てる必要があります。この仕立てれた表層これから生えてくる二番茶との隔たりとなり、これを境界に収穫することで、新芽のみを収穫することができます。この作業は茶園全体の二番茶の新芽を均一に出芽させることが重要です。均一な深さにトリミングすることやそのタイミングによって調整する必要があり、不適切なトリミングは二番茶の出芽にばらつきを与えてしまい均一な製品の製造が困難になってしまいます。二番茶前のトリミングは1番前のトリミングよりもさらにタイトに調整が必要なので、より集中しながらの作業になります
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お茶の葉だけでなく、心も形作る(Vit F.)
茶畑での生活は、茶の世話をすることだけだと思うかもしれません。確かにそれは最も重要な部分ですが、お茶を楽しむための器も同じくらい大切です。
6月12日、私を含む現在のインターン生たちは、地元で最も優れた陶芸家である佐伯さんと一緒に、抹茶碗作りに参加しました。佐伯さんはご自宅に私たちを招いてくださり、陶芸の技を教えてくれました。その後にはバーベキューと上質な日本酒もご用意いただきました。
それぞれが自分のスタイルで抹茶碗と煎茶用の湯呑みを作りましたが、佐伯さんの熟練した指導とアドバイスのおかげで、すべての作品がとても素敵に仕上がり、それぞれの個性が表れた器となりました。
美しい形やちょうどよい大きさ、厚さを作るのは簡単ではありませんが、自分たちの手でそれを形にできたことはとても貴重な体験でした。
湯船エリアでは他にも素晴らしい体験がたくさんできますが、今回の体験は特に特別なものでした。日本の伝説的なアーティストに出会い、親しくなれたことは、私の日本滞在の中でも忘れられない思い出です。そして、d:matchaでの滞在を思い出すときに、また一つ幸せな層が重なるような気がします。