d:matcha通信 2023年3月号
こんにちは!いつもd:matchaをご利用頂き、ありがとうございます。d:matchaニュースレターチームより畑や新開発の商品、スタッフの近況をご紹介していきます。どうぞ、ご愛読ください。
‐ 畑のこと (by Hiroki.A )
茶園で見られる珍しいお茶のすがた。パート⑤
お茶の栽培に携わって約6年、長いことお茶を栽培していると珍しいお茶の姿を見ることができます。これらを紹介するとともになぜこうなったのかを考察したいと思います(独断と偏見)
ある生物が生んだ壊滅的なお茶の姿。
初めにこの写真をご覧ください。(1枚目)
この写真は碾茶の収穫前の写真です。しかし、慣行栽培でなく、農薬を使わずに栽培したためある害虫の食害により著しく生育が阻害され、ところどころ枯死した様も見られます。一方2枚目の写真は順調に生育した碾茶の写真です。この被害を受けた畑で被覆資材をめくった時すごく驚いたこと鮮明に覚えています。新芽は黄緑に淡い色合いに変化し、葉は小さく展開不足となります。茶園をこのような状態にしてしまった害虫の正体はウンカです。正式にはチャノミドリヒメヨコバイといいセミの仲間で、小さなセミをイメージしてください。この害虫はセミのように植物に細い管の様な口を突き刺して樹液を吸って生活します。この刺し傷や、奪われた樹液によりお茶の新芽は生育不良に陥ってしまいます。この害虫は代表的なお茶の害虫の一つで一番茶の終わりごろから二番茶の時期に大量発生し、時に収穫できなくなる程の被害をもたらすこともあります。
‐ Matcha beauty recipe No.10 (by Natsuki)
抹茶を気軽に取り入れてもらいたい!そんな思いから、日常で取り入れることができる抹茶レシピを開発しています。
第10回目は、おむすびに最適!米糠を活用した超簡単で優しい「抹茶ふりかけ」
使用している抹茶「抹茶やぶきた」
【抹茶塩】
<材料>
・抹茶やぶきた 大さじ2
・米糠 粗塩 1:1
<作り方>
1.油をひかず、フライパンを使用して米糠と粗塩を一緒に乾煎ります。
2.10分ほど煎ったところで抹茶を加えさらに煎ります。
★味見をすると塩の角が取れてまろやかになってきたら終わりです。
ちょっと塩気が欲しい時に使うとちょうどいい塩加減なので、料理に何でも使うことができます。
ストーブの上で炒ってもOK.
鱧を湯引きした後に”振りかけ抹茶” お酒のあてにおすすめです。
毎朝のおにぎりに!とても美味しいです!
【開発秘話】
▶D-matchaではお米も栽培しているので、自社米を使用した抹茶振りかけを作ってみました。精米した後の糠の始末に悩んでおり、米糠の栄養成分を調べたらビタミンEやミネラルなどの栄養価が高いことを知りました。なので捨てるのは勿体ない!精米した白ごはんの上に糠をふりかけることで米の栄養全てを食べることができるのです。
煎って瓶に詰めて長期保管ができるのでおすすめの活用法です!
ご家庭に精米機がある方はぜひやってみてください。
- 1ヶ月限定の炉と釜(by Seiya.H)
茶道では大きく分けて風炉(5月から10月)と炉(11月から4月)という2つの季節があります。炉の時期には茶室の真ん中に炉という名の囲炉裏を作り、その中に灰や炭を入れて釜の湯を沸かします。同じ炉の季節でも、その月にしか登場しない釜または炉があるので、本日はそれらを紹介していきたいと思います
2月・大炉(だいろ)
寒さが続く2月には通常よりも大きい炉を使用します。釜の蓋も大き目のを使う事が多く、炉も大きいため、炭火がよく見れます。
3月・釣窯(つりがま)
炉の大きさは通常に戻りますが、3月から4月にかけては五徳という灰の中で釜を支える道具を使用しません。
天井から鎖を吊るし、その鎖に釣られた状態でお点前を行います。
この時期では炉に灰を入れてから4ヶ月経過しており、灰を押さえつけないように釜を釣るしたとされています。
4月・透木釜(すきぎがま)
炉の両端に透木という板を置き、その上に釜を乗せます。この時使用する釜は横長で、釜の両端には羽という薄目の部分がありそれが透木の上に乗ります。これは気温があがるにつれ炭の火がお客様から遠ざかるような気遣いが含まれています。
お稽古を何年続けていても、これらの釜と出会える回数は限られます。それぞれ点前の順番や段取りが変わってくるので、先月までしてた事を一旦忘れつつ、1年ぶりにやる手順を覚えなおしの繰り返しです。
ただ、通常のお稽古や茶室でも2~4月だからといってその月の釜が準備されているとは限らないので、もし出会えたらラッキーです!釜の形にも様々な特徴や魅力があるので、その釜から沸くお湯で抹茶を嗜んでみてください。
- d-matcha 抹茶アイスケーキ(by Ko)
1870年代にはアイスクリームケーキのレシピが発見されています。アイスクリームケーキは元々ビスケットとクリームで作られていました。ヴィクトリア朝時代の「ボム」と呼ばれるデザートは、アイスクリームとフルーツを装飾的な型に入れて作られています。
日本のアイスクリーム史は、明治の文明開化で始まりました。大正時代には工業化が進み、現代のアイスクリームメーカーがこぞって製造を開始。家庭でも気楽に食べられるようになりました。抹茶アイスの起源はどこなのか?
明治四十五年 (1912) の夏、明治天皇の病状が悪化すると、アイスクリームが献上されたという。そのとき銀座最古の茶屋である平野園は抹茶のアイスクリームを用意しました。今でも平野園では、皇室に献上された「御園の白」と名付けられた濃茶や、抹茶アイスクリームを楽しむことができます。
- d:matcha創業物語⑲~スタンフォードMBA生との交流part4~(by Misato.T)
(写真)左がSawyer、一緒にお茶の収穫をしました。左は和束のおばあちゃん。面白い組み合わせです。
3年目の夏にd:matchaにやってきたSawyerは、米国空軍出身のスタンフォード生でした。といっても、彼は戦争の前面に出ていく兵士ではなく、戦略面の立案や補佐に関する部門に従事していました。
Sawyerはスタンフォード卒業後に自分でビジネスを始めたいと思っていたため、スタートアップのファミリービジネスがどういうものかを体験したいということで、d:matchaを選んでくれていました。
Sawyerがd:matchaにもたらしてくれたのは、subscription(定期購読)のプラットフォームでした。この当時、subscriptionはビジネス界ではホットなトピックで、MBAの課題の中でも扱ったことがあるため、そのスキルをd:matchaに応用してくれたのでした。価格、システム、商品ページ、リーフレットの作成を手伝ってくれ、ツアーに訪れた観光客のお客様にそのままd:matchaでsupscriptionを申し込んでもらえるようになりました。
うちにやってくる海外の学生の多くは、休日は京都・大阪などの繁華街に出かけていき、日本で観光するのを楽しみにやってくるのですが、Sawyerは珍しく街歩きは好きではなく(田舎出身なのでうるさい場所は好きではないと言っていた)、あまり出歩いていなかったのを覚えています。
毎晩私たちと一緒にd:matchaで夜ご飯を食べながら、日本文化とアメリカ文化の違い、日本のユニークさやビジネスの考え方についてたくさん質問していました。
ほぼ単一民族国家である日本と多民族国家であるアメリカとの様々な違い、なぜ日本はcash文化なのか、排他的・保守的な日本人の考え方、伝統とはどのように作られ維持されるのか、日本の超高齢化、日本人の共産主義的な考え方、日本の特殊な金融政策と経済、などなど様々な話題が上がりました。
印象に残っている話題のひとつに、平等とは何か?というものもありました。
アメリカでは退役軍人に敬意を表して、様々な社会的地位や機会が与えられます。スタンフォードMBA入学にも退役軍人の枠があるようですが、もちろん退役軍人であれば誰でも入学できるわけではありません。
しかし、時には退役軍人だからと言ってスタンフォードに入学しやすいのは、ほかの学生にとっては不平等だと言われることもあったとか。
スタンフォードなどアメリカのトップスクールでは、色々な観点から学生が選考されます。生徒のバックグラウンドの多様性は、授業の成果・充実度に関わる大事要素です。それ以外にも、学校に寄せられる寄付金、世界の経済情勢やアメリカの外交上の政治情勢を色濃く反映したものになります。
一体平等とは何なのか?そういった答えのない問題について、日本人とアメリカ人の価値観から本音トークをすることも、スタンフォード生を受け入れる面白さのひとつです。
ちなみに、妊娠中のSawyerのパートナーも遊びに来てくれました(それも出産の1か月前!訪日中に生まれちゃうんじゃないかと私の方が心配でした)。このころちょうど私も妊娠中で、一緒に写真を撮りました。
美男美女のカップルでした。下が帰国後9月に生まれたSawyerの息子。
誰が一番腕相撲が強いかを試合していました。